私は、平成16年7月7日、女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者の方(以下Jさんという)が遺棄された現場を訪ね、ご冥福をお祈りしてきました。
この事件は、昭和63年に起き、犯人グループの少年達によるJさんへの数十日間に渡る監禁と凄惨なリンチ、遺体を埋立地に遺棄するという犯行が世間を震撼させました。
しかし、日が経つにつれ、徐々に記憶の片隅へと追いやられ、事件の事を思い出すこともなくなっていきました。
平成16年7月4日、衝撃のニュースを目にしました。
昭和63年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で逮捕された少年四人のうちの一人が、知り合いの男性を監禁して殴るけるの暴行を加えたとして、警視庁竹の塚署に逮捕監禁致傷の疑いで逮捕され、既に起訴済みとのこと。
逮捕されたのは埼玉県八潮市、コンピューター会社アルバイト、神作譲容疑者(33)。
神作容疑者は、知り合いの男性に因縁をつけ、顔や足に殴るけるなどの暴行を加えたうえ、金属バットで脅迫。車のトランクに押し込み、約40分車を走らせた後、埼玉県三郷市内のスナックで「おれの女を知っているだろう。どこへやった」などとして約4時間監禁し、殴るけるの暴行を加え、男性に全治十日のけがを負わせた疑い。容疑を認めており、調べに対し「ちょっとやりすぎた」と話している。
神作容疑者は、女子高生コンクリート詰め殺人事件では、サブリーダー格として犯行に加わり、懲役5−10年の不定期刑が確定、服役した後、出所していた。
私は神作容疑者と同じ位の世代なのですが、当時、事件の事をあまり深く知ろうとせず、「不良が起こした事件」程度に考えてました。
当時は今のように、インターネットでいろいろな事を検索することもできず、あまり本を読まなかったことや、一部報道では、Jさんが、犯行グループの遊び仲間の一人?といったような誤った報道もあり、私の中では、「ひどい事件」で終わっていました。
しかし、今回のニュースを知り、改めてコンクリート事件のことをネットで調べてみると、神作容疑者らのグループが被害者対し言葉にはできないようなむごいリンチをしていることを知りました。
犯人への憤りを感じたのはもちろんですが、それ以上に、何の落ち度もないJさんが、数十日に渡って受けたむごい仕打ちに思いを致すと、Jさんがあまりにもかわいそうで、犯人を憎む気持ち以上にJさんのご冥福をお祈りしたいと思いました。
お墓まいりをさせていただければとも考えましたが、Jさんのご遺族の方が事件を忘れたがっているということもネットで知りました。
善意であっても、ご自宅にうかがったり、第三者がお墓まいり等をしては、ご気分を損ねるのは至極当然のことと考えました。
しかし、Jさんのご冥福をお祈りしたい私は、Jさんが遺棄された江東区の現場を訪れようと思いました。
確かに批判があるかもしれませんが、万一、ご遺族の方がその光景をご覧になった時、一市民が真摯な気持ちから被害の方のために黙祷し、合掌している姿を目にされたら、傷が癒えることはないにしても、遺族の方を不愉快にさせたりする可能性は低いのではと考えたからです。
思い上がりのようでしたらすみませんが、極寒の冬の埋立地に2ヶ月も放置されたJさんのことを考えると、本当に居ても立ってもいられなかったのです。
神作容疑者逮捕を知った直後は、怒りの気持ちが先行し、「容疑者の実家に抗議に行こう」とか、「少年法改正に向けて立ち上がろう」といった方に、正直気持ちが向いがちでした。
ただ、遺族の方は事件を忘れたいと思っていることや、当時の事件を知れば知るほど、Jさんに対して自分の哀悼の気持ちを伝えたいという方に考えが変わっていき、一人で行動ができ、遺族の方と遭遇する可能性の低い現場訪問を選んだのです。
平成16年7月7日、仕事の休みを利用し江東区若洲の現場へ行ってきました。
事前にネットで調べたのですが、Jさんが遺棄された現場の正確な場所が分からず、「若洲橋を越えた付近ではないか?」という情報を頼りに行く事にしました。
私は車を持っていないので、電車で新木場まで行き、新木場から都営バスの、「若洲キャンプ場行き」に乗りました。
10分位走り、若洲橋を渡り、住所が新木場から若洲に変わった最初の停留所の「ゴルフ場前」で降りました。
ゴルフ場というのは、この埋立地区に作られたゴルフ場で、事件当時は埋立てと建設の時期で、もしかするとこのゴルフ場の場所がJさんが眠られてる場所かと思いました。
ゴルフ場の入り口脇には、雑草にまぎれて、小さな花が一面に咲いてました。(写真左)
倉庫地帯を行き交う大型トラックが巻き上げる砂ぼこりをかぶりながらも、天に向かって花を開き、彼らもJさんの安らかな眠りを祈っているのかもしれません。
ゴルフ場の反対側は、風景が一転し、開発がされず、雑草が人の背丈程にまで生い茂り(写真中央)、所々に家庭ゴミや電化製品等が不法投棄され、「ここに遺棄されたのなら余程のことがないと気付かれないだろう」と思いました。
犯人グループが別の事件の取調べ時に、Jさんのことを自供したため、遺棄から2ヶ月後に発見されましたが、自供がなければ相当長期間発見されなかったのではと思いました。
確定はできなかったのですが、この場所で追悼を行おうと思いました。
普通は、お花を持っていったりするのでしょうが、Jさんは、監禁中満足な食事を与えられなかったことを知ったので、私はべ物と飲み物を持参し、それを置き、黙祷、合掌を行いました。
置きっ放しにするとやはりゴミの問題などもありますので、供えた物は持ち帰ることにしました。
帰りは駅まで歩いたのですが、埋立地で現在も一部未開発のエリアがあり、「木場」という町名の通り、材木が積まれた倉庫や、荷物を運搬する大型トラック等が行きかうのがメインで、歩行者が歩いている姿はほとんど見かけず、住宅街や商店街と違い、労働者が帰宅すれば、夜はかなりひっそりしてるのだろうと思いました。
東京はこの日、34.8度という猛暑でしたが、Jさんは1月〜3月の真冬を、この寂しい埋立地で過ごし、「早く見つけてほしい」という気持ちでいっぱいだったと思います。
そのことを歩きながら考えた時、額を流れ落ちる汗に混じり、涙が一緒にほほを伝ってきました。
今回の事件を契機に、被害者の方を追悼したいという気持ちをお持ちの方が多い事を知り感銘しました。
もし、今後この場所を訪れる方がいらっしゃいましたら、できたら、小さなビニール袋等をお持ちいただけないでしょうか。
このエリアは意外と、空き缶やペットボトル等の投棄が多く、道路の路肩が汚れています。
気付いた方が少しずつ回収するだけでも、外観が代わってくるのではと思います。
正確な場所はこのページの下の方の地図をご参照下さい。
トップページに戻る
追記:平成16年8月2日、再度現場を訪れました。
前回追悼のために訪れた場所が、Jさんが置き去りにされた場所から若干ずれていたため正しい場所でお祈りするのと、神作譲容疑者の裁判が始まったことを伝えるためです。
↓下の方もご参照下さい(地図や画像をクリックいただくと別画面で大きく表示されます)