神作譲被告の母親の狡知さ
 平成16年7月28日、神作譲被告の初公判が行われた。
 これに合わせて、同日テレビ朝日の報道ステーションで、神作被告の母親のインタビューを収録したVTRが放送された。
 母親は形通りの謝罪をしたりするものの、なぜか心が伝わってこないのである。
 以前、東京・三軒茶屋の駅で、帰宅途中の銀行員の男性が少年2人に暴行を受け死亡する事件が起きた。
 少年たちは裁判の過程で、「一生をかけて償いたい」、「私という人間を根本から変えていきたい」と反省の言葉を述べたが裁判長には伝わっていなかったようである。
 判決時裁判長は少年たちに対して、「さだまさしの『償い』という歌を聴いたことがあるだろうか」と切り出し、さらに、「この歌の、せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君らの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と少年の心に訴えたという。
 私は母親のインタビューのVTRを見た時このエピソードが頭に浮かんだ。
 夫との別居(不幸な家庭境遇)、「遺族の方が引越されたので連絡がとれず、、」といった弁明、どことなく責任転嫁や自分も被害者みたいな姿勢が見えたからだ。
 神作被告の母親とはどのような人物なのだろうか。
 コンクリート事件当時、東京都A区の都営アパートに住んでいた母親は、高裁の判決が出る1ヶ月前の平成3年6月11日(登記簿上の日付)、約2,750万円の融資を受けて埼玉県Y市のマンションを保有した。
 今後損害賠償等の民事訴訟が起き、多額の補償をしなければならないかもしれない時期で、かつ高裁判決の前という時になぜマンションを保有したのだろうか。
 詳細は本人以外知る由もないが、判決の1ヶ月前といえば、判決文の土台もある程度出来上がり、よほど大きな問題でも起こさない限り、譲被告の情状面に不利に働くことはない時期である。
 その点を見越してのマンション保有だったのだろうか?
 高裁での審理時に、被害者のために161万円の積立をしてることが明らかになったが、家を売り約5,000万円の慰謝料を準備した別の加害者の親と比較すると、あまりにも低額である。
 この積立も事件直後からすぐに開始したのではなく、1審が始まった後の平成2年に始めたのである。
  平成3年7月12日、東京高裁で懲役5〜10年の不定期刑が言い渡され刑が確定した。
 母親はY市のマンションがあるにもかかわらず、平成8年10月4日(登記簿上の日付)、約4,400万円の融資を受け、同市(Y市)内にさらに店舗兼住宅を保有した。(神作被告が初公判の人定質問時、「住所」として答えた場所)
 購入の時期も、5年〜10年の不定期刑を終え出所する可能性のある頃というのも、被害者への補償よりも、帰ってくる息子のための準備が優先したのだろうか?とつい考えてしまう。
 今回の監禁事件の舞台となった母親経営のスナックがある埼玉県M市は、コンクリート事件被害者の方が拉致された場所や、自宅のあった場所である。
 そのような場所で、スナックを営業するということに何のためらいも感じなかったのだろうか。
 出所後にコンクリート事件関連のビデオを観たという神作被告もそうだが、母親の行動も理解に苦しむところである。
 「夫との別居」、「女手一つで」、「都営アパート暮らし」といった貧しいイメージを演じつつ、その裏側では、判決の1ヶ月前にY市にマンションを保有していた母親。
(ローンではあるが)いくつかの不動産を保有していた母親の姿を見ると、「被害者の遺族の方と連絡がとれないので、補償ができない」というのが、どれほど本当の気持ちなのか疑問が湧いてくる。
 母親には、真の意味で被害者の方に補償をしようという気持ちがあるのだろうか?
 (下記図表、画像はクリックで拡大しますので、みづらい場合はクリックしビューアで大きくしてご覧下さい)

        
第二回公判当日(2004.9.21)は抽選に洩れ時間ができたため、神作被告の母親が経営する埼玉県M市のスナックに行ってきました。(今回の暴行事件の監禁場所)
 
 息子の譲被告の事件が、朝のワイドショーで一斉報道された7月5日夜も営業をするという無神経さ(写真左側)のため、ある程度ほとぼりの冷めた現在はどうなっているのか興味がありましたが、すでに店じまいをしたようです。(写真右側)
 店名の看板は撤去され、店の入口にあった観葉植物もなくなり、ひっそりしていました。
 入口脇に張り紙があったため、転居先や何らかの侘び文かと思いましたが、ビル管理会社によるメンテナンス等のお知らせでした。

(写真をクリックすると拡大します) ※左側の写真は、「現地調査班」さんよりご提供をいただきました
 東京高裁で譲被告のコンクリート事件の裁判中、たった161万円の慰謝料を準備したが(実際に払ったかは不明)、その裏では(判決の1ヶ月前)、2,750万円の抵当権を設定(ローンを組んだと思われる)し、埼玉県Y市のこのマンションを保有していた母親。
 被害者の住所と同じ市にスナックを開店し、被害者が通っていた高校と同じ市にわざわざ住居を構えた狡知な母親。
 譲被告再犯後、ここからも逃げ出したようで、今は別の人の名前の表札となっている。
(写真クリックで拡大します)


icee様のサイトでは、上記スナックが営業していた時の写真や、このY市のマンションの登記簿の写しなどが資料としてあります。
 一度サイトをご覧になると、いろいろ参考になると思います。
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裁判の真っ最中に、遺族への補償は棚上げで、都営アパートから約2,750万円のマンションへ。

アップグレード内容:
・都営アパート→マンション
・賃貸→抵当付だが一応持ち家
・3階→8階
・築29年のボロ→築5年の新古(平成3年時点)
テロップ:
(被害者の遺族が)引越しされてしまって、気持ちとしては忘れることはできませんが、何も出来ない状態です。

普通の社会生活を送ってる人なら、弁護士とか、然るべき人に頼めば、所在調査とかできそうなのに、そういうことはしたのでしょうかね?
仮に引越先が分かれば、主犯の少年の親のように5,000万円程度の慰謝料を払うのでしょうか?
そんな風には見えませんね。